郵政公社について
(前職を振り返って)

(注意)あくまでも私的見解ですので、
誤った表現や情報がございましても
ご了承ください。
 最近(←私の現役時代〜2003年9月時点までの知りえた情報による時期を指す)、役職者の起こす事件が後を絶たない。
 元役職者としては、腹立たしい限りである。

 しかしながら、その背景については意外に
語られず、まさに死人に口無しという感じだ。

 「事件」「事故」を起こした職員は、当然社会的制裁や公的責めを負うのは当たり前だし、擁護する気は無いが、ただ起こった現象については、見過ごす事は出来ない。

 というよりも根底に隠れていることを見逃すと、全ては個人の問題で済まされて、本当の責任の所在が隠れてしまう危険があり、それが事業の崩壊を招く原因になるからだ。
 私は今でも郵便事業が好きだし、そこで働く仲間も大好きである。

 さて、日本郵政公社になってクローズアップされることは、お客様に対して新サービスを提供出来うる環境になったということだが、新サービスは全てどこかの企業の受け売りや追随、小包等商品を見ると、いまだに堂々と天下り・OB企業の独占的商品(顧客の満足度無視や、一部の癒着顧客のニーズのみを反映した商品)の販売を行っている。

 また民官手法の取り入れとか言ううたい文句で、給料には成果主義を導入する。

 一見当たり前じゃないかという人もいると思う。

 営業面を強化し、生産性の向上をもって利益を獲得し、企業を存続させる。

 しかし考えてもらいたい。
 
 元々郵便は民間企業であった,それも一部のエリートのみ利用の出来る。

 それが、国の通信手段の変遷の中、国民みんなが等しく平等に低価格で通信手段を使えるように、国家的プロジェクトとして公共の福祉の観点から整備され、当然職員に賞罰を与える事の出来る「国家公務員」という地位を与え、国民のプライバシーの保護に務めた。

そして非営利の事業としながらも、給料は全て自前で調達(独立採算制)をしていた。

 試験区分の違う国家公務員上級職以上の方は、国の税金でお給料をもらっていたので、みんながみんな税金でまかなわれているという誤解もあったのだが・・・。

 郵便局の現場で働くほとんどの人は、独立採算制のもと自分達の仕事の収益で、自分達の給料を捻出しているのである。

 切手販売は全て郵便局の収益になるが、同時にサービスとしている収入印紙の代行販売は、委託料さえもらえない。

 全て財務省に納入される。

 儲けにならない印紙が、また多くの企業にとっては必要なもののため、需要があるのだが、郵便局は企業に依頼されお届けすると、持って行き損なのである。(ガソリンも当然自腹なのだから) 

 しかしながら、利益を産まねばならないし、また郵便貯金は当時財政投融資にまわされる財源であったため、その取り扱いについてもかなり厳しかったのだ。

 「国家公務員」という事で、「国会」の承認のもと給与の支給額が決定する。

 つまり民間企業のベースの一年後、給与の査定が変わるのである。バブルの頃も民間並に給料は上がる事は無かった。

 国家公務員(郵政)のベースは、実際に手にしてみると、平均的な民間企業の同条件下の給与平均の6割程度であったから実感として覚えている。

 民間ベースの昨年度の結果をみて一年遅れでベースアップは実施される。
 
 もし今が不況であり、一年前が好況ならベースアップがあるという状態になる。ところが、実際はそうはならない。

 最初の出発点で低い賃金体系だったものを、民間並にと希望しても差が縮まらず、バブル時期には大幅黒字が出ていても、据え置きであった。

 バブルが弾けたときは、弾けたなりに国会で取り上げられるので、当然給与の大幅値上げは無し。

 バブルの恩恵をまったく受けられなかったのである。

 2003年より本俸から一律賃金カットがあり、定期昇給もなし、業績手当ては新体系に整備されました。

 給与問題は、実はもっと奥底が深いので、ここではあまり触れないようにします。

 通信手段の多様化と、事業自体の盛衰については、自然淘汰という事で考えれば当然の成り行きである。

 今郵便事業は、その必要性が問われているのであって、決してサービスの追及や営利目的で行く末を語られるものではないはずである。

 もう、あれが悪いこれが悪いというような比較論で語るのではなく、必要不必要の理論に終始してもらいたい。

 働いている職員は常に事業に対してまっとうに働いているのである。

 「独立採算制」の中に入り込んだ「国の税金で給料をまかなってもらっているいい加減な連中」が、いつも自分達の利益を追求するために、いい加減な対応をしてきた結果、現場がいつも苦労をして、自殺者や、「事件」「事故」を起こす事になっているのである。

 そこを隠したままで、目の前に出てきた事件を解決するために「懲戒免職」「告発」が起こるのである。

 本来、役職者が事件を起こしたのなら、当該課長や局長も処分されるべきである。

 しかしながら、なぜ事件を起こしたのか、なぜ自殺者が出たのか、原因を突き詰めれば、経営感覚の欠如した,郵政官僚による「犯罪」に他ならないと考えている。

 その点で、私は小泉改革はすごい事になるのだと期待もしていたのだが、結局現場職員にだけ皺寄せをして、官僚はうまく立ち回って生き残ってえらそうにしている。

 だったら、姑息な手段(民間の社長と、トヨタ方式の経営手法の徹底)を使わず、一気に完全民営化して、職員に株式をもたせて、完全雇用をしたうえで、国家公務員という身分で給料も上がらない仕組みを作らず、みんなが本当の意味での「成果主義」を成就出来るようにするべきである。

 今のままでは、適当に仕事をしていれば食べるのに苦労をしない一部の職員を除いて、希望に燃え仕事に取り組んでいる多くの現場職員は、蛇の生殺しなのである。
 日本郵政公社は民営化の一里塚なのではなく、国政の多くの失敗から国民の目をごまかすための手段にしか過ぎない。

 サービスが良くなることを期待する人達は、すごく馬鹿を見る事になるだろう。

 元々郵政省の時代でさえ、現場職員はお客さんが喜ぶ本当のサービスを提供して採算をあげようとしたときに、「民間活力の妨げ」はしてはならないという法律のために、常に猫さんなどのサービスが先に出来る体制を取らしてからサービスを展開していたので、お客さんからは「郵便局は二番煎じ」とよく言われていた。

 ネコさんは大きな封筒を60円くらいで配送している。(お客取りに今は赤字でも良いというコスト感覚)転居していても兎に角ポスティングすれば良いみたいだ。

 いつもポストからはみ出している。(これがスタイルならしょうがないが)大企業が誰に渡しても良いという考えで出すダイレクトメールなら、ネコは最高に安くて使い勝手が良いと思う。大事な物を送付するには適さないと言い切れる。

 ねこさんの独自職員はともかく、ポスティングアルバイトの質は最低である。

 また、結局分からない送付物については、郵便局に持ち込むのである。

 また、猫の苦情が郵便局に殺到するのもいい迷惑である。

 猫さんが、「郵便局がもし本気を出して小包サービスの展開を行ったら、ひとたまりも無い」とのたまわったのは有名な話である。

 飛脚さんは独自の路線で宅配便を展開し、いまやコンピュータ商品配送の品質の良さはすばらしい。(ペリカンさんも結構good)

 猫さんは常に郵便局を利用してのし上がってきた。猫さんは言うまでも無く「わが国のえらいさんを支える企業である。」

 もしも日本郵政公社が、斜陽の事業実態から脱却で来たなら、ユニバーサルサービスの提供が十分行き届き、少子超高齢社会における公的福祉の増進を担えるだろう。

 だが、それはわずか数パーセントの確率でしかないと思う。

 私の願いは、現場職員が本当の意味でまっとうな自分の仕事をする事(責務を果たすこと)にたいして、成果報酬を与えてあげて欲しいということだ。